沿革HISTORY

沿革

1947.

佐藤鶴蔵の発起・提唱のもと東京スプリング工業株式会社を設立

昭和22年、本社を東京都中央区日本橋蛎殻町に、工場を横浜市鶴見区に設置

GHQの依頼によりマッカーサー元帥の執務室および幕僚の会議室用椅子のスプリングを製造

国内大手自動車メーカーに、自動車用シートスプリングを納入

創業者 佐藤鶴蔵

1949.

本社及び工場を東京都品川区五反田に移転

1950.

朝鮮戦争勃発・日本初のポケットコイルスプリング

米軍将校用マットレスとして「ポケットコイルスプリング」を日本で初めて製造

国内大手ベッドメーカーと共同して製造し米軍に納入

1953.

東京都品川区荏原に移転

機械設備を拡充して生産力を強化

主に椅子用スプリングを製造

1959.

分割ベッド用スプリングの製造

国内大手ベッドメーカーに分割ベッド用ボンネルコイルスプリングを納入

ボンネルコイルスプリング

1968.

埼玉県幸手市内に移転
スイス・シュプール社製ボンネルコイルスプリング製造機を導入

ベッドの普及に伴い需要増大を見越し広い敷地を確保

当時世界最新鋭のスイス・シュプール社製ボンネルコイルスプリング製造機、アッセンブリーマシンを導入

埼玉県幸手市内の工場

ボンネルコイルスプリング製造機

1970.-80.

日本の主だったベッドメーカーにベッド用スプリングを供給

ベッド用スプリング製造のための設備を拡充

国内ベッドメーカー各社にスプリングを供給

1987.

ポケットコイルスプリング製造機を自社開発

ポケットコイルスプリング製造機を自社開発して量産化に着手

1989.

ポケットコイルスプリング量産化の開始

スイス・シュプール社製ポケットコイルスプリング製造機を導入

国内ベッドメーカー各社に、量産化したポケットコイルスプリングを供給してポケットコイルマットレスの普及に大きく貢献

1990.

ベッド用マットレスの生産開始
自衛隊にマットレス納入

生産品目をベッド用マットレスに拡大して、「ベッド用スプリング」製造会社から「マットレス」製造会社に転向

自衛隊にマットレスを納入

1991.

埼玉県幸手市下宇和田に本社工場を新設移転

生産設備強化のため埼玉県幸手市郊外に工場を新設

埼玉県幸手市下宇和田の本社工場

高密度フリーエンド型スプリングCOSIFLEXの生産開始

スイス・シュプール社より日本初の高密度フリーエンド型スプリングCOSIFLEX(コージーフレックス)製造機を導入

高密度スプリングCOSIFLEX

高密度スプリングCOSIFLEX製造機

1992.

救助用担架G-0119の製造を開始

東京消防庁型救助用担架G-0119型の製造を開始、消防庁の定番担架として全国の災害現場で活躍

東京消防庁型救助用担架G-0119

1994.

2層式スプリング「ダブルデッカー」の開発

日本初の2層式スプリング「ダブルデッカー」を発売
今までにない発想の製品が業界に衝撃を与える

2層式高密度ダブルデッカー

1996.

パラゴン・キルティング・マシン導入

米国グリベッツ社製パラゴン・キルティング・マシンを導入
マットレス製造設備の拡充を進める

パラゴン・キルティング・マシン

1997.

ポケットコイルスプリング量産化ラインの完成

ポケットコイルスプリング製造機6台と自社開発のアッセンブリーマシン3台で独自のポケットコイルスプリング量産ラインを構築

市場の要求に応えベッドメーカー各社にポケットコイルスプリングを供給

ポケットコイルスプリング量産ライン

1998.

高密度薄型スプリングマットレスの開発

大塚化学家具事業部よりロータイプコージーフレックス採用の薄型マットレス「ユニ」を発売
12色対応で一世を風靡する

大塚化学家具事業部より発売された
12色対応ユニ薄型マットレス

2009.

プリヒーティングポケットコイルマシン導入

スイス・シュプール社製プリヒーティングポケットコイル製造機P-433を導入
アジア納入第一号機となる

プリヒーティングポケットコイル
製造機P-433

プリヒーティングポケットコイル
製造機PA-351

2012.

アワーグラスポケットマットレスの発売開始

スイス・シュプール社(米国レゲット&プラット社)より製造の権利を得て「アワーグラスポケット」の開発を開始
日本人向けに仕様を吟味し「アワーグラスⅠマットレス」を完成

アワーグラスポケットコイル

アワーグラスⅠマットレス

2019.

新型キルティング・マシンの増設

米国グリベッツ社より新型のキルティングマシンを導入増設
高級な製品の要望への対応を強化

新型キルティング・マシン